ちよにやちよに 〜 愛のうた きみがよの旅


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Sale price¥3,100

Description

文 白駒 妃登美
絵 吉澤 みか
英訳 山本 ミッシェール
プロデュース 松岡 沙英
発行:文屋
価格:1,500円+税
判型:B5判変形、上製本(縦22.6✕横19.0✕ 背幅1.0 cm)
頁数:40ページ
発売日:2021年7月9日

愛のうた「きみがよ」の旅 ~あとがきにかえて~

白駒 妃登美

 私たちの国歌『君が代』の本歌(ほんか)は、平安時代に詠(よ)まれた「愛の歌」です。このことを知った時、梅の花に太陽の光が差し込みキラキラと輝き始めたような、美しいあたたかさが、胸いっぱいに広がっていきました。

 それは、今から1100年以上前、905(延喜5)年に編纂(へんさん)された『古今和(こきんわ)歌集(かしゅう)』にありました。『君が代』の本歌は、「題しらず、よみ人しらず」で、

わがきみは ちよにやちよに
さざれいしの いは(わ)ほ(お)となりて
こけのむすまで
(古今和歌集三四三)

と、あります。
 もとの歌は、「君が代」ではなく「わが君」です。当時、主に女性が、愛する男性を呼ぶ時に「わが君」と言ったのです(男性が愛する女性を「わが君」と呼ぶこともありました。つまり夫婦や恋人など、親愛の情を持つ相手に向けた呼び名が「わが君」なのですね)。この歌は、名前はわかりませんが、平安時代に生きた、ある人物が、恋しい人に「いつまでも、長生きしてくださいね」と歌いあげたものだったのです。西暦800年ごろに作られたと推定されます。

 歌の音の流れが、春の小川がサラサラ音を立てているようで、心が安らかになごみますね。この歌は、「賀歌(がのうた)」といって、おめでたい時に歌われる「言祝(ことほ)ぎ(お祝い)の歌」に分類されます。おそらく作られた当初からたくさんの人に愛され、さまざまなお祝いの席で歌われる、大人気の歌だったのでしょう。
 その証(あか)しに、それからおよそ200年も経った1013年ごろ(古今和歌集の成立からは約100年後)、藤原(ふじわらの)公(きん)任(とう)という人が、みんなが楽しく朗詠(ろうえい)できる名歌を編纂した『和漢(わかん)朗詠集(ろうえいしゅう)』に、「わが君は」が「君が代は」と手を加えられて、登場します。

君が代は 千代に八千代に
さざれ石の いは(わ)ほ(お)となりて
こけのむすまで

 「君」は、恋人や親しい人だけでなく、一家の長老や主人など、目上の人に対し敬意を込めて呼ぶ時にも使われます。そして「代」は、寿命や命のことであり、時代を表す場合にも用いられます。

 「千代に八千代に」は、「ずーっと長く、いつまでもいつまでも」。「さざれ石」は小さい石、「いはほ(いわお)」は「大きな岩」のこと。永い年月の間に石灰岩に雨水が浸透していき、ミネラルが解けだして周りにある小石とくっつき、大きな岩となる現象を「さざれ石がいはほとなりて」で表しているのでしょう。自然界のあらゆる所に神さまが宿ると考えてきた私たちの祖先は、石にも神霊が宿り、時間をかけて成長していくものだと信じてきたのですね。

 「苔のむす」は、「苔が生える」という意味。石が成長して岩となり、その表面に苔が生えるまでというのは、永い永い年月のたとえであり、同時に、愛の深さを表しているのでしょう。
 全体を訳すと、こうなります。

 「あなたの命(あなた様の御代(みよ))が、いつまでも、いつまでも、永く続きますように…。例えば小さい石が、長い時間をかけて大きな岩に成長し、その上にたくさんの苔が生えるようになるまでね」

 「わが君」が「君が代」となったことで、歌に新たな命が吹き込まれました。大切な人の長寿と幸せを祈る歌であり、一族の繁栄を祈る歌。肉体は滅んでも、魂は受け継がれ、生き続けていきます。その永遠の命を寿(ことほ)ぎ、魂を受け継ぐことを心に誓う歌でもあるのですね。

 やがてこの歌は、能(のう)の謡曲(ようきょく)として歌われたり、お座敷で端唄(はうた)や小唄(こうた)として、三味線(しゃみせん)の伴奏でさかんに歌われるようになりました。さらに、あるときは田植え歌のような労働歌として、また、あるときは祝い歌として結婚式やお正月に歌われ、千年以上の長きにわたって、日本人に愛され続けてきたのです。『君が代』は、江戸時代までは、私たちみんなの歌、言い換えれば国民の歌でした。

 『君が代』が、天皇に捧げる歌であるという解釈は、明治以降に生まれました。それは、次のことからも明らかです。上代(じょうだい)から、天皇に対して「君が代」という表現を使うのは無礼とされ、そのような表記は、古い文献を探しても見当たらないのです。天皇に対しては、通常、「大君(おおぎみ)の代」「君が御代(みよ)」、あるいは「すめらぎの代」「すめろぎの代」という言葉が使われました。

 ところが、明治時代になって、国民みんなの歌『君が代』は、新たな局面を迎えます。『君が代』が、「国歌」として歌われるようになったのです。

 きっかけは、1869(明治2)年の英国王子エジンバラ公の来日だったと言われています。海外から大切なお客様をお迎えする際に、両国の国歌を演奏するのが国際儀礼です。このときイギリス側の求めに応じ、日本側が提示したのが、国民みんなが愛する古歌「君が代」でした。これに英国人フェントンが曲をつけたのが、初代国歌「君が代」です。しかし、この初代「君が代」が演奏されたのは10年あまり。その後、やはり和歌には日本独特の音楽が似合うということで、雅楽の調べになりました。

 国歌になると、公のさまざまな行事において、天皇陛下の前で国民が歌うことが多くなります。そのときには、当然「君が代」という表現のままで「大君の代」と同じ意味が発生しますから、次第に「天皇のお治めになる御代」という意味も込められるようになったのです。さらに戦前・戦中は、天皇の御代を寿ぐ歌として、学校でも教えられました。

 このように、永い歴史の中で、捉え方は時代ごとに変わってきましたが、『君が代』は国民に愛され続け、明治以降は国歌として歌い継がれてきました。実は、法的に国歌であるということが定められたのは、平成に入ってからです。1999(平成11)年に「国旗及び国歌に関する法律」が制定され、『君が代』は、正式に日本の国歌となったのです。

 国歌を天皇陛下と国民が一緒に歌うとき、国民は「陛下のご長寿と平和なこの国がいつまでもいつまでも続きますように」と願いますが、陛下は、国民の命の尊さを思い、我が国と世界の人々の安寧と幸せを、そして平和を祈ってくださいます。お互いに思いやる心が響きあう歌、それが『君が代』なのですね。
 
 わずか32音から成る、世界で一番短い国歌『君が代』。その歌詞は、1100年以上の歴史があり、世界で一番古い歌詞を持つ国歌でもあるのです。そこには、和を尊び、命を慈しむ、先人たちの真心が溢(あふ)れています。もしかしたら『君が代』は、先人たちから今を生きる私たちに、そして同じ地球に暮らす家族に向けられた、時空を超えたラブレターなのかもしれません。

 永い歴史の中で、国民みんなの歌として愛され、やがて国歌となった君が代の「旅」。この旅が、地球に暮らす私たち家族の未来に希望の光を灯してくれることを信じて、この絵本を作らせていただきました。

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